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澁谷歩理さん (90n10jvr)2024/1/31 11:58 (No.1058870)削除
「現代の貧困のはじめの教科書」 岩田正美 『現代の貧困―ワーキングプア/ホームレス/生活保護』 筑摩書房 2007年

人々が社会的格差と呼んでいるものを「貧困」と言い換えているのが重要なポイントである。格差や非平等は記述的な表現で、それを問題としないことも可能である。それに対し、貧困は社会にとってあってはならないという価値判断の意味を含有する表現である。著者は言葉が人々へ齎す影響を考え、格差ではなく貧困という言葉を使用しているのだ。また、貧困の把握には貧困と貧困でない状態の境界の設定が難点である。貧困の歴史は議論の歴史と同じ意味を持つ。特に離婚や単身世帯は女性のみならず男性の貧困にも大きな影響がある。路上にいるホームレスは新たな問題というわけではなく、戦前や配線直後の典型的なモデルであった。ホームレスが再発見されるようになったのは、80年代の起きた横浜のホームレス連続殺傷事件や大阪のエアガン乱射事件などによるものである。ホームレスの存在を認知していたが、社会の関心を引くようになったのはその数がバブルなどの影響から増加し続けていたからである。ホームレスと言っても路上に存在する者と住居と路上を行き来する者も存在するのである。貧困の定義には様々な基準が存在するが、それは他者に対する社会の判断が一様でないことが挙げられるという。結局貧困の定義は私達の社会がどうあるべきかを考えることに繋がるという。著者のユニークな点は、読者の貧困やホームレスへの認識を改めさせるような文章であろう。貧困の定義を明確化し、社会的に問題であることと、私達の生活にどんな影響があるのかを、言葉の具体的説明や資料を用いて分かりやすく記している。現代の貧困について極めて分かりやすく簡潔的にまとめた本だと言える。現に私も、現代の貧困にはあまり詳しくなく、曖昧なイメージを持っていたが、この本を読み終える頃には誰かに説明出来る程度には詳しくなっていた。謂わば現代の貧困を学ぼうとする者の、最初の教科書という認識が適切であるように考えた。
(800字)
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堀川華さん (90myo9j3)2024/1/31 10:52 (No.1058833)削除
目を覚ませ  若桑みどり『お姫様とジェンダー アニメで学ぶ男と女のジェンダー学入門』(ちくま新書 2003 )

この本は著者である若桑みどりさんが2001年から2002年にかけ、川村学園女子大学の人間文化学生活環境学科で教えたジェンダー学の講義をもとにしたものである。「ジェンダー」という言葉は、今となってはずいぶん馴染になってきたが「ジェンダーとは具体的に何か」、「それが実際どういう役に立つのか」といったジェンダーに対する疑問が尽きない人も少なくない。かくいう私もそうで言葉では知っていても、どういうものかは詳しく知り得ない。この本はそんな人たちに向け、誰もが知るプリンセス・ストーリーを題材にしたディズニーのアニメを見て、生徒と教師が意見を述べ合いながら「ジェンダー」という言葉について話を展開していく。まず、「ジェンダー」というものは、社会や文化や心理のあらゆるところに潜在しているものの考え方や感じた方、行動の形式や価値基準、そしてそこから組み立てられた習慣や制度や法律のことだとこの本では明記されている。ここで私は、ジェンダーはものの捉え方の問題であることとか、一人一人の心情の問題であると考えていたが、制度や法律にまでなり得るのかと驚いた。政治、法律、心理学、医学、科学、歴史学、教育においてジェンダーを扱っている学者が多く、言えば「ジェンダー」は実に広汎な領域にまたがっている思想であり、ものの見方の学というべきであって、それ自体が孤立して存在する学問領域ではない。それを踏まえ読み進めていく中で、一番印象に残ったのは「お姫様、自分で目覚めなさい」という、話し合いの中で生まれた学生の言葉だ。ディズニー作品の一つである「眠り姫」では王子様からのキスで 眠りの呪いを解くが、この話は王子様である男の存在があるからこそ解決したのだ。この言葉は相手本意になっている眠り姫、集団に対する「目覚め」についての主旨を述べている。男女同士が互いに差別することなく、双方が共生できる世界を社会と教育の中で作り上げることは、この先の未来において重要なことであると感じた。
(文字数:828文字)
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石川諒さん (90jnwxr9)2024/1/31 09:40 (No.1058779)削除
子どもの貧困は誰の近くにも――山野良一『子どもの最貧国・日本 学力・心身・社会におよぶ諸影響』(光文社、2008年)評

 家賃を払えずに、児童養護施設に預けられる3歳のミヤと4歳のシン。生活保護の受給を受けられず、給食の時間まで空腹を堪える小2のタクヤ。このように現在の日本は、7人に1人の児童が経済的に困窮していて、ひとり親家庭の貧困率は、OECD加盟国の中でも最低である。しかし、その現状に対して国は対策を取らず、貧困の子供達を社会的にネグレクトしている。本書は、この問題への社会認識を研ぎ澄ますことを目的に書かれており、日米の児童福祉の現場経験をもとに、理論・歴史・統計などの多角的な視点から実態を検証し、解決策を講じている。
 構成は、「概論」「現実」「対策」の3つからなっており、「概論」では、なぜ貧困化が起こっているのか、その原因や本質について語られている。「現実」では、実際に起きている貧困のケースをリアルに伝え、多様な貧困の形というものが説明されている。中には日本以外のアメリカでの事例も挙げられており、子供の貧困は国際的な課題であるということが理解できる。「対策」では、これらの現状を踏まえた上で、今後貧困に対してどのような考えや取り組みを持っていかなければならないのか、多角的な角度から考察し、主張を行なっている。
 この本では、様々な貧困のケースが紹介されているのだが、中には本当に今の日本で起きているのかと感じてしまうものも存在した。日本の子供の貧困を少しでも無くしていくためには、まずこういった現在起きている貧困について、社会で生きている人たちが認識するということが必要になる。本書は、そのような日本の現状を知る「きっかけ」になるのではないだろうか。また、誰の身の回りでも必ず起きているであろう、子供の貧困に対して、どのような対応やサポートが必要なのか理解することで、ボランティアなどの社会支援を行なっていく「きっかけ」にもなるのではないかと感じた。 (772字)
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高橋まなさん (90mq6o3h)2024/1/31 06:55 (No.1058661)削除
「話聞いている?」と言われたことはないだろうか。自分は聞いているつもりでも相手には聞いているようには見えず、なんとなく空気が澱んでしまうそんな経験はないだろうか。
 最近「傾聴」という言葉を耳にする。聞くではなく、聴くことがなぜ大切なのか、どんな聴き方がいいのか、言葉にしようとすると案外難しいものである。
 著者は住職で、東日本大震災で被災し、移動式カフェをボランティアで運営し、被災地で赴いた。そして現在までに2万人以上の被災者の声に耳を傾けてきた。その経験を通して気づいたことやわかったことといった、傾聴のコツが観点や事例に分けて教えてくれる。傾聴の方法ひとつで相手の心を動かし、時には人間関係をよりよくするヒントが隠されている。
 この本で一番印象に残っているのが第1章である。P30から著者がこれまで行なった傾聴活動の経緯について語っている。東日本大震災で被災したものの宗教者としてご遺体にお経を上げていた。しかし自分の「フレーム」が壊されて、宗教などの立場は用を成さないと気づき、ありのままの自分で現実に向き合うことを決めた。話を聞いてあげるという態度ではなく「暇げで軽みのある佇まい」を意識した場づくりをもってポツリポツリと相談する声が聞こえてきた場面である。
ここからの著者の傾聴活動が始まるのだが、こんな言葉は言ってはいけない、相手の話の裏にある核心はなにか、全肯定、沈黙、全身全霊で聴く姿勢、理解と共感・・・といった傾聴のコツが細かいトピックで経験をもとに流れるように説明されている。
 現在、発信することに目が行きがちな社会において受け止める役である傾聴は目立ちにくい。しかしよく聴ける人は自分のことばかりでなく相手の考えや物語を汲み取りながら耳を傾け会話する。誰かと問題解決するとき、説明する時意識してみると本当の解決、理解に近づけるかもしれない。
最後に著者は傾聴の極意は「慈悲の心」とある。宗教っぽいと思うかもしれない。しかし1人になりやすい社会において1人では生きられないこと、相手を思いやること、そんな当たり前だと思っていたことについて傾聴を通して再確認できる。
高橋まなさん (90mq6o3h)2024/1/31 06:58削除
話を聴くーー金田諦應『傾聴のコツ』(三笠文庫 知的生きかた文庫 2019)

タイトル挿入ミスです。申し訳ございません。
高橋まなさん (90mq6o3h)2024/1/31 07:00削除
855文字
滝口克典さん (8zqpodji)2024/1/31 09:23削除
おつかれさまです。課題図書ブックリスト(新書)にあげられていないものは評価対象外になります。再度資料をご確認ください。
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野口新史さん (90mpcy1h)2024/1/31 06:32 (No.1058650)削除
「正しさ」だけが文明人ではない   パオロ・マッツァリーノ『つっこみ力』ちくま新書 2007第一版発行

この本の著者はパオロ・マッツァリーノという人物で、本書においては正体不明の戯作家としてこちらに話しかけるように議題を展開してくる。この本のテーマはスバリ「つっこみ力」である。「つっこみ力」というのは著者が独自に提唱する考え方(手段)で、論理やメディアリテラシーの代わりとなる、愛と勇気とお笑いの三本柱による情報との向き合い方であり、その目的は「社会と人生を面白くする」ことにある。
この本の面白さは、「統計漫談」を実践しているというところである。新書を手にとり初めに想像するのは、専門家の調査と客観的なデータに基づいた理路整然とした意見であるが、この本はそれらに一石を投じる展開を広げる。どんなに論理的に正しい意見を出そうがつまらなければ惹かれない、疑問が生じてもデータを盾にされれば口出しできないモヤモヤを抱えることになる。ならば愛のある分かり易さ、多くの人を巻き込む笑い、権力にも屈しない勇気で、「正しさを面白さ」に変えてしまおうと提示していおり、実際にそんな著者の気概が現れるように、本書は「読者」を「観客」として引き込む工夫がなされている。著者が意見を述べている途中、突如舞台袖から知らない人物が現れては、著者と討論を始めたり、時には話が本題から外れることもあるが、それも本書の内容に補足として働いたり、「つっこみ力」の実践を見ているような感覚になる。
 また、ただ「データを信じるな」と主張しているわけではなく、それらの向き合い方、付き合い方にも言及している。失業率と自殺率が比例するというデータがあり、それらを比べて専門家は「失業したから自殺する」と紐付けるが、世界的にみればどうか、自殺の原因を調べると別の結論が生まれる。あくまでデータは多くの複雑な要因が絡むものを人が意図的にまとめたものと主張し、早とちりせず、異なる角度から効果的な意見や、価値観を生み出していくことが大切であると述べられた。
社会問題、経済学、素人からすれば物々しい情報も、少し茶化すような目線で捉え、多面的な情報からつっこみ合える環境こそ、文化的で自由な発展を生むのだと学んだ。(879字)
高橋まなさん (90mq6o3h)2024/1/31 06:57削除
話を聴くーー金田諦應『傾聴のコツ』(三笠文庫 知的生きかた文庫 2019)

タイトル挿入ミスです。申し訳ございません。
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横山真優さん (90mk9v16)2024/1/31 04:09 (No.1058571)削除
お姫様脱却  若桑みどり『お姫様とジェンダー アニメで学ぶ男と女のジェンダー学入門』(ちくま新書、2003 )

現代社会でジェンダー…という言葉を耳にしたら大多数の人は、「またLGBT問題か。」と考えるだろう。確かに私自身もジェンダー問題と耳にしたらその課題を第一に想像する。だが、ジェンダー問題はLGBT差別にとどまらないのが現状だ。
 世間では、男はこうあるべき、女はこうあるべきという風潮は令和になった今でも強い。特に日本はその傾向が強く、社会のあちこちで古臭い固定概念で溢れている。就職時の障壁やプライベートでの障壁はまだまだ高く、「女性なんだからお茶出しをしろ、愛想を良くしろ」などと発言する上司がいるという声はネットを見ればざらにある。
 本書ではディズニーアニメを題材に、昔話にはどんな意味が隠されているのかを読み解き、いつの間にか思い込まされている「女らしさ」「男らしさ」の呪縛から、自由になり真の男女共生社会を目指すべきだ。という作者の訴えが書かれている。
 そんな訴えの中で、最後をしめたのは「もしも王子様がこなかったら永遠に眠り続けるという危険な事態になる」「お姫様、自分で目覚めなさい」という二つの言葉である。この言葉は、筆者が女子大学で教えたジェンダー学の講義を受けた女子生徒がアンケートに書いた言葉である。私は、後者の言葉に最も感銘を受けた。この言葉の趣旨は、社会が他者の支配によって女性は受動的になり、無気力な状態になっているという現状から“目覚め”、自分で自分の状況を理解して改善させることにある。
 女だから仕方がないと理由を並べ「夢や人生設計」を諦めた経験をしたという女性は9割だと私は考える。その理由が、無気力な状態にしてしまう社会全体が作り出す障壁によるものだ。たとえ目覚めることができたとしても障壁があることで、希望はなくなり女性は一生寝たきりになってしまう。オーバーに聞こえてしまうかもしれないが、寝たきりの女性は、少し視野を広げるとごまんといる。
 男女共生社会を作っていくことは、長い男女格差の歴史を踏まえると容易ではない。だが、流れはここ数十年で大きく変化した。現代で起きているこの格差に女性も男性も関心を持つことが変化の一歩になるのかもしれない。(877字)
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上遠野桃子さん (90mew70q)2024/1/31 01:39 (No.1058506)削除
男と女ではなく、人間  若桑みどり『お姫様とジェンダー アニメで学ぶ男と女のジェンダー学入門』(ちくま新書、2003 )

この本は、著者である若桑みどりさんが2001年から2002年にかけて川村学園女子大学の人間文化学部生活環境学科で教えたジェンダー学の講義をもとにしたものである。誰でも知っているシンデレラのようなプリンセスストーリーを題材にし、講義を受けた学生たちの声も読むことができるため、同じ講義に参加しているような没入感、親しみやすさを感じて気楽に読み進めることができる。ジェンダー学の入門書だと感じた。
本書が書かれたのは約20年前、私が産まれるか産まれないかの時期である。しかし、述べられている男性中心の社会構造によって生じた女性の息苦しさや男性の苦しみ、それによる社会のほころび、幼少期から刷り込まれる男らしさ・女らしさという問題は、今もなお議論されている問題だ。私はまずそこに驚いた。20年前から、否それよりも前からこうして問題になっているのに今も続いているのか!と。問題提起だけで、私はこの世界に根付くジェンダー問題の根深さを実感した。
この本で特に印象的だった点は、家父長制社会が作り出した女性の不自由さを述べつつも、決して男性を蔑ろにしないという点である。異性を下げることなく、男性も家父長制社会によって息苦しさを抱えているという問題に寄り添っているのだ。私の性別は女性であるから、どうしても女性特有の障壁ばかり見上げてしまい「男は楽でいいよな」と思うことがある。しかし本書で、社会が男性に財産・地位、頼り甲斐や強さを求めることにより、女性を同じ土俵に上げることを拒んでしまうという問題を目にした。男性も女性もステレオタイプに苦しんでいる。我々は「男」「女」という別の生き物ではなく、「人間」という同じ生き物だ。その一点を私は忘れがちになる。この性の呪縛から解き放たれたいと思っている者同士だということをお互いに理解していれば、男女共同参画社会はさらに目指しやすくなるだろうと思う。
(768字)
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山本萌乃さん (90m8wcl6)2024/1/30 22:51 (No.1058391)削除
リテラシーにつっこみ力を つっこみ力にリテラシーを ――パオロ・マッツァリーノ『つっこみ力』(ちくま新書 2007年)

我らが東北芸術工科大学の本館のエントランスに「愛が足りない だからこの大学がある」と筆で書かれた格言のようなものが掲げられているのをご存知だろうか。ご存知なければぜひ本館を探して見てほしい。
この本は、タイトルをつっこみ力と言いながら本題に入る最初の一文は、「なんかこのごろ、せつせつと、愛が足りないと感じるんですよ。」という文である。なんと芸工大と同じようなことを言っている。著者いわく「愛とは、わかりやすさである。」との事だ。世の中の分かりにくいことを分かりやすくすることが愛であり、その分かりにくいことを分かりやすくするための力がつっこみ力なのだと語っている。
では、つっこみ力をあげたら何ができるのか。印象的だった「笑いの章」をかいつまんで説明したいと思う。「笑いの章」ではメディアリテラシーについて触れられている。メディアリテラシーについて嫌という程叩き込まれてきた私たちはリテラシーのある行動として、論理的思考で情報を取捨選択し、間違った情報は批判して正さなければならない。しかし、そうと言いつつ、私たちは偏見や科学的根拠のないものを信じている。例えば血液型占いや星座占いなどが挙げられる。確かに、これらに科学的根拠は無いにもかかわらず広く知られ浸透している。浸透している理由は面白いから。つまり、メディアリテラシーなんてあったものでは無い。それに対してつっこみ力というのは、間違いに対してどの切り口からつっこみをいれて場を盛り上げるか、いかに自分が道化となり周囲への不快感を最小限にしながら間違いを訂正するのかが重要になってくるのだと語られている。
ただ、この本の中ではバッサリと切り捨てられたメディアリテラシーに関してだが、今回の授業の目的を思い出して頂きたい。新書というメディアから情報を得るという授業の中で新書の情報を鵜呑みにしてメディアリテラシーを批判し、つっこみ力を全面に押し出すのはいかにもメディアリテラシーもつっこみ力もないと言わざるを得ないのではないだろうか。ぜひ、1度その目で見てメディアリテラシーとつっこみ力について考えてみて欲しい。(880字)
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鈴木葉さん (90m553q9)2024/1/30 21:06 (No.1058304)削除
性差別と向き合う――上野千鶴子 『女たちのサバイバル作戦』(文春新書 2013年)評

 男女雇用機会均等法が定められてから、刊行年の2013年まで、女性の働き方はどう変化していったのか、著者である上野さんの鋭く優しい考察が胸に響き、重く考えさせられた。男女の性差別を多角的な視点から歴史的に分析した本で、当時も現代も、特に労働環境において、性差別はまだ拭えていない。その問題自体が本が書かれた当時から何も変わっていないという事実が重く苦しく、現代女性の胸にのしかかる。女性の歴史を辿ると、自ずと格差が浮き彫りになってしまう。男性が女性よりも上になった瞬間に「格差」というものが生まれるという考え方には納得したし新しい発想で驚いた。また同時に、いつかその逆も起こる可能性があるのだと現代社会の闇を感じた。
 タイトルには「女たちの」と明記されているため、女性テーマの本かと思いきや、本書に出てくる問題は男性にも共通するところがあり、男性との比較は外せないため、女性だけではなく男性をテーマにした本でもある。単純に差別自体を問題としているのではなく、昔からの固定概念で社会ができあがってしまっていることが問題だと考える。男性の方が女性より偉いという風潮は馬鹿げていると語る現代でも、男女の賃金格差や雇用格差の矛盾がある。男は働き、女は家事、という昔からある固定概念がさらに大きく悪い方向に広がり、現代の社会問題に大きな影をもたらしてしまっているのだ。
 度々登場する「ネオリベ」というワード。ネオリベについて自分の中で大きく考えさせられたのは本書がきっかけである。性差別を考えた時、自ずと一緒に考えなくてはならないものだ。まだ学生で、社会を表面的にしか知らない自分にとって、これからの未来をどう生き抜くか重く考えさせられる内容だった。就職活動をしている身としては、今から待ち受ける様々な性差別や格差問題に失望したが、だからこそ、友人や家族、企業と、どうサバイバルするべきか、心構えをして強く生きていきたいと思えた。(807字)
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中島慎之助さん (90m2jgu6)2024/1/30 19:53 (No.1058227)削除
平田オリザ『分かり合えないことから コミュニケーション能力とは何か』(講談社現代新書、2012)

 私が今回このbook reviewを書くにあたって選んだのは、平田オリザさんの『わかりあえないことから コミュニケーション能力とは何か』という本である。コミュニケーション能力というものは日頃からとにかくよく耳にする言葉であり、私自身も大学で専攻している分野がコミュニケーション能力を求められる機会が多いこともあって当然よく耳にする。また、最近は就職活動もあり面接等に対応できるだけのコミュニケーション能力を身につけていかなければならないと日々焦りすら感じている。しかし、この本で平田さんは、就活で求められているのはあくまでコミュニケーション能力の『慣れ』のレベルであって、そこに人格などの問題はないと言っていた。つまり、たとえ性格や考え方に問題があるような人材でも、面接という場での立ち振る舞いを繰り返し練習し、企業が求める従順さをそこでアピールできれば採用されてしまうような状況が出来上がってしまっているというのだ。こんな仕組みをどうにかしなければならないと筆者同様私もこの本を読んでいく中で強く感じたが、このコミュニケーション能力を表面的にしか見ないことが当たり前で起こっている社会で、少数の意識が少し変わったところで解決することができないというのはもはや明白である。教職課程を現在履修している私が今後もし教育に関わる時が来れば、せめてそこでのコミュニケーションは内面的にも通い合うことができるようなものでありたい。また、『会話』と『対話』は別物であり、対話は価値や情報の交換を指す反面、会話は価値観が近いもの同士のお喋りであるとも平田さんは言っていた。確かに、私自身もそれらの意味を混同して考えていたなと思う一方、そもそも人とコミュニケーションを取る上でそのような区別付けを意識している人は一体どれほどいるのだろうとも感じてしまった。筆者は、これはして日本人には空気を読む文化があり、そのためこれらを分離して考えられていないと言っていたが、果たして本当にそうなのだろうか。この本以外にも他文献を調査し、是非ともその核心に迫りたいと考えた。(862)
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