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滝口克典さん (8zqpodji)2024/1/8 21:12 (No.1035441)削除
生活者目線の支援策探る――三好亜矢子・生江明編『3.11以後を生きるヒント 普段着の市民による「支縁の思考」』(新評論、2012年)評

 東日本大震災から約二年。被災した人々に対し、さまざまなアクターによる多彩な支援が行われてきた。それらのうち、特に「普段着の市民」――行政職や専門家など「支援」のプロではない、普通の生活者たち――によって行われた支援をとりあげ、それがもつ可能性や有効性について論じたのが本書だ。
 本書では、被災地支援に活躍したNPOやボランティア・グループ、協同組合など、一五ほどの実践事例が詳細に紹介され、それぞれ丁寧な検討や考察が施されている。本県からは、米沢市の生活クラブやまがた生協を母体とする支援団体「ボランティア山形」(13章、14章)や同市内に開設された避難者支援センター「おいで」(15章)、最上町の曹洞宗松林寺による災害ボランティア(3章)の活動などが取り上げられている。
 では、こうした「普段着の市民」による支援のメリットとは何か。本書はそれを、①小さいこと、②多様であること、③現場密着で丁寧であること、④対話があること、⑤夢があること、の五原則として定式化する。これらはどれも、行政職や専門家などプロが行う制度的な「支援業務」の対極にあるものだ。
 例えば、制度的な「支援」では、すべての対象者に公平かつ迅速にサービスを提供せねばならないため、①~⑤のようなありかたは許されない。しかし、被災地では制度の「想定外」の事態が常態化していた――例えば、個数の不足ゆえに分配できず避難所の隅に積まれたままの物資の山――ことは震災後の私たちにはもはや常識。「想定外」の環境下で被災者と資源とをつなぐための最適解が、小さく多様な市民たちのイニシアチヴにより、そしてまたそうした人びとのヨコの連携(本書はこれを「支縁」と呼ぶ)により、各地で豊かに紡ぎだされていたのだった。
 あのとき、そしてあの後、いったいどんな支援が行われていたのか。これは、私たちの社会が非常時にどう機能したかをめぐる問いでもある。本書が浮かび上がらせるのは、そうした私たちの社会の自画像である。(825字)
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藤木駿希さん (8lxnjm4y)2023/1/26 00:31 (No.680811)削除
「勤勉さと貧困の関係性」
阿部彩/鈴木大介『貧困を救えない国 日本』(PHP新書1161)

社会問題としてしばしば取り上げられる「貧困」。地域や行政で「放置してはいけない!」という声が上がり、様々な取り組みがなされているこの問題が、いつまで経っても解決しない要因は何にあるのだろうか。衣食住の質が高く、娯楽にも事欠かない日本では、馴染みがない人がほとんどで偏見やある種の差別が蔓延っていることも珍しくない。当書では文筆業に携わる鈴木大介と、社会政策学者の阿部彩の二人が、複数の視点を持って様々なことに触れながら貧困について語っていく。
当書の特徴は、この対談で進行していくところにある。二方ともあまり難しい言葉を使わないので読み手が理解し易く、自然に理解度が高まっていくように構成されている。ある種、本として理想の姿なのかもしれない。「あまり詳しくないけど…」と言う人でも読みやすいところが当書最大の強みと言える。
 さて、貧困と一口に言うのは簡単だが、一体どう言った状態を指すのか。当書では「単に低収入で貧しいことでなく、その生活に不安や精神的苦痛が伴いつつ、そこから抜け出すのが困難な状態」(本文から一部抜粋)と説明されている。一つだけでも苦しい状態にあるのならば、幾つも当てはまっている層は生きていけるのだろうか。
 私が気になったところは、日本人の貧困への無理解だ。国民の殆どが「貧困を放置してはいけない」という認識なのにも関わらず、解決の目処が立たないのはおかしな話だ。それには日本人の国民性「勤勉、謙虚」が深く関わっている。二つとも本来は褒められるべきものだが、「頑張って当然」、「不都合は自己責任」という意識が貧困層への風当たりを強くし、さらに溝を深いものにしている。作中には、裕福な暮らしを送っている主婦が「上流家庭」である自覚がなく、著者に指摘されるまで支援される側だと考えていた例も出てくる。
 しかし、これらは決して悪いことではない。見たことがなければイメージできないのは仕方のないことだ。貧困問題に深く関わってきた著者の、貧困を知らない我々へのメッセージが書かれているので、気になった人は是非手に取っていただきたい。
(872文字)
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山口祐未さん (8lxjb1mh)2023/1/25 23:59 (No.680793)削除
現代の貧困 ワーキングプア・ホームレス・生活保護 岩田正美
貧困は私たちの生活の遠いようで近い事象である。生活を最低水準で暮らす人は目立たずとも多く存在している。もしくは自分もそれに該当している場合も知らず知らずのうちにあるかもしれない。生活用品が高騰し、税率が引き上げられていき、じわじわと生活費、お金の使い方に対する意識が高まりつつある今に、改めて貧困についてこの本を通して考える機会を設けてみたい。

何を「貧困」と定義するのかはラインをどこに設けるかで変わっていく。このラインについてこの本は数字や国の政策を用いて分かりやすく解説している。
そして後半にホームレス・生活保護に関する現状と課題点が記述されており、「不利な人々」の現状も解説されている。借金・シングルマザーなど、身近なもの、あるいはゆかりが無くともいつ自分が陥ってもおかしくない状況が貧困への足掛かりとなる。
貧困が引き起こす連鎖的な不幸、病気、自殺、についても書かれているが、これは全ての人が他人事ではなく、常に陥るリスクを抱えていることを読んでいて感じさせられる。どういった社会の仕組みがそうさせているのか、そもそもの課題点は何か、今後どうしていけばよいのか、問題定義、解説、解決方法を明確化しているため何が問題点なのかピックすべき点を見つけやすい。社会保険と公平保障の穴を見つけ、貧困の「再発見」を行うべきだと筆者は主張する。社会と国の政策全体で変わっていかなければならない、ニュースや新聞を見ていて、貧困と関連づけてものを見る機会は少ない。誰だって自分とは遠いものだと信じたい。しかし貧困は私たちのすぐ隣にあるものである。貧困に対して理解を深め、私たち自身で社会の課題と今後の展望を考えていく必要がある。
(735字)
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山田彩乃さん (8lxmaqjy)2023/1/25 23:56 (No.680789)削除
東北のもつ空気感 河西英通『東北:つくられた異境』(中公新書、2001)

東北と言われて、何を思い浮かべるだろうか。豊かな自然、伝統的な祭りや施設だろうか。総じて言ってしまうならば、“田舎風景”ではないだろうか。おそらくは自他ともに認めるものであって、事実として先進的な要素を東北に見出す人は少ないだろう。それは裏を返せば遅れた、未開の土地であるというある種の差別的な意味合いを含むだろう。本書はそんな内外の東北への視点に目を向けた一冊である。
まず、私が最も気になる点として、本書は出版年から年月が経っており現代とは少しばかり世間の感覚がずれている。本書の初版が出た頃はまだ私は生まれておらず、著者は50歳だ。それは直接の内容に深く関わるものではないが、たびたび違和感を覚えるには十分のものだ。しかし、だからこそ本書は非常に興味深いものであった。東北の外で生まれ育った私に、土地の学者が当時特有の空気感を持って東北の歴史や現状を教えてくれているように感じたからだ。例えば冒頭では新幹線の話題があり、その後も何度かJRの話題も上がるが、現在では改善が施されているものがある。このような身近な歴史の変遷を感じることそのものが本書による東北観への影響のひとつだろう。
さて、上記のように東北への偏見が比較的薄れたと思える現代であっても、正しい視線で東北を見ることはできているだろうか。私はできていないと思っていたその何倍以上もできていないことを知ることになった。現在先進的な東京のイメージが先行し、東京から放射線状に開発的なイメージを抱いてしまっているのだ。それはある視点では間違いではないが、多くの場合で間違っている。東北その土地の事情を全く鑑みずに自分だけの目でしか見ることができていない。そしてそれは東北の中にいても同じように思うだろう。自分の東北観にメスを入れる、興味深い一冊である。(753字)
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山田彩乃さん (8lxmaqjy)2023/1/25 23:56 (No.680788)削除
自分より上も下も、見ようと思わなければ目には入らない  阿部彩・鈴木大介『貧困を救えない国 日本』(PHP 新書、2018)

私が小学校のときの担任の先生は習字の筆の百均で買い、「筆と心が通じ合えばどんな筆でも素敵な字が書ける」と教えてくれた。私は馬鹿正直に感動していたが、今思い出せば習字セットを買うことができなかった貧困家庭の児童への思いやりだったのかもしれない。私は当然のように可愛らしい習字セットを買ってもらったが、それがどんなに恵まれたことなのかを知る機会はあまりにも乏しい。そして本書はその機会の一つになるかもしれない。
本書は筆者2人による対談形式となっている。それゆえに内容は非常に分かりやすく、そして生々しいものだ。ある意味で、読後感が良いとは言えないだろう。知らなかったことへの罪悪感や、知ってなおもできることが少ないことの無力感に襲われるかもしれない。どうしてできることが少ないのか、それは2人があらゆる貧困を取り上げているように、ほとんどの人がこの本のどこかで思い当たるフシがあるような貧困の一端でもあるからだ。貧しい人が貧しい人の手助けをできるだろうか。私は本書のタイトルに全てがあると思っている。日本全体に貧困が蔓延しているのは私たちも常日頃うっすらと感じていることだ。
いつもは目をそらしているだけで貧困問題は身近に迫っている。本書の中でも問題視された「私たちだってみんな我慢しているのだから、そんなことは言うな」をヒリヒリと肌で感じながら、それでも向き合わなければ改善の道が見えすらしない。本書では貧困の定義的問題から、家庭の、女性の、障碍者の、社会の問題をあらゆる角度で指摘している。どれも真実に迫った内容であり、耳が痛い所も多くあった。(仕方のないことではあるが、)改善方法はどれも力不足を感じるものの、現代社会を見つめる上で良い一冊となるだろう。(727字)
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栗田奈々香さん (8lxlxvva)2023/1/25 23:46 (No.680781)削除
公共図書館が秘める可能性――猪谷千香『つながる図書館-コミュニティの核をめざす試み』(ちくま新書、2014年)評

元旦開館、ぬいぐるみのお泊まり会、サッカーチームを応援、法律相談、米粉ベーカリーの貸し出し___________これらは全て、公共図書館で行っているサービスの一部である。皆さんは図書館を無料で本が借りられる「無料貸本屋」とだけ思っていないだろうか?いま公共図書館は新たな役割を担い、変わりつつあるのだ。

本書では、公共図書館の持つ可能性について、全国各地で注目を集める公共図書館を比較しながら論じている。まず、図書館という施設についてだが、全国での設置率は100%であり、ほとんどの市区立でも設置してある。また、年齢・職業・収入関係なく無料で利用できる希有な施設であり、美術館や博物館、水族館などを含む社会教育施設の中で最も利用率が高い。最も身近で、誰でも気軽に利用できる公的施設だからこそ、町を豊かにできる可能性を秘めているのだと筆者は語る。
本書は、ただ全国各地の公共図書館を紹介しているガイドブックではない。その図書館や仕組みが出来上がるまでのプロセスや人々の関わりについて、インタビューを交えながら書かれている。例えば、島根県海士町では、そもそも図書館がない状態から図書館作りが始まった。図書館を利用したことのない島民へ理解してもらうところから始まり、国交省から建設費を確保して建物を建設するまでに至った。現在では、図書館の無い近隣の島から人々が訪れるようになり、図書館活動への関心が高まっているという。
図書館は、その土地の資料を収集し、残していく役割や、利用者の学習をサポートする役割がメインだ。同時に、そこで人々の交流やつながりが生まれる場所である。実際に私は山形市立図書館で実習を行ってきたが、市民団体と利用者が読み聞かせなどを通して交流していた。図書館は年々予算が削減され厳しい状況ではあるが、地域の実情に合わせた場づくりをしていくことが、“つながる図書館”を作るヒントではないだろうか。(841文字)
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山口祐未さん (8lxjb1mh)2023/1/25 23:29 (No.680767)削除
「ワークショップ」の多様な見方
中野民夫『ワークショップー新しい学びと創造の場―』(岩波新書,2001)評

「楽しい、人とのつながりを感じる、わくわくする」そんな学び方があるのなら注目せざる負えない。文中の筆者の言葉である。
この学び方を指す「ワークショップ」とは何か?この本はワークショップの基礎的な定義の部分から目的、技法、効果まで丁寧に述べられている、ワークショップの入門書として適した読み物である。
用語の解説の丁寧さもさることながら、実際の効果と成果を示すワークショップの具体例記述がこの本の注目点である。ジョアンナ・メイシーの「繋がりを取り戻す」ワークショップ、「絶望と再生のワーク」「自分という自然に会う」などの実際に開催されたワークショップを元にスケジュールや参加者の感想、心情の変化など細かく記述されている。
五感を使い、体を使い、人とコミュニケーションをとりながら学びを経ていく過程は、本の序盤で開設されたワークショップを行う意義と効果について理解をより深める事が出来る材料になっていく。

他には、ワークショップと自己啓発セミナー・カルト宗教などとの違いについて解説されているのもこの本の面白い所である。ワークショップの心や意識を扱うきわどい側面を自覚する必要があると筆者は語る。目的を「洗脳」とするその手の集団は、参加者を隔離し、供犠や思想を徹底的に教えこみ、最後に壁を乗り越えさせる体験をさせ、人間を変化させていく手口があり、一部の過程がワークショップと類似しており「我に返る」ワークショップと「我を忘れる」洗脳の違いを解説している。
似たような事例とその危うさについても載っており、この本がワークショップを多角的な視点から見つめている事がわかるトピックであるので、方法論だけでなく他の多様な視点からワークショップを見て知識を吸収できる。(770字)
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黒川明花さん (8lxkjnei)2023/1/25 23:07 (No.680751)削除
「会議の本来の姿を知っているだろうか」
(吉田新一郎『会議の技法 チームワークがつくる発想の新次元』中公新書、2000)


「会議」と聞くと、どのようなイメージを思い浮かべるだろうか。

硬い、重い、長い
形式的、閉鎖的、排他的
本音が言えない、聞いているだけ、結果が決まっている…

 恐らく、会議に対して良い印象を抱いている人は少なく、できることなら参加したくないと思う人がほとんどであろう。会議に割く時間があるならば、本当は別の仕事に使いたいのではないだろうか。しかし、そう感じていても出席しなければならない会議はたくさんある上に、討議しなければならない事柄も増え続けている。また、参加したところで意見など言えるはずもなく、観客としてただその場にいるだけの存在となってしまうこともある。こうした経験の積み重ねが、今日の会議の意味と役割を重くしている要因と言えるだろう。これでは、今後ますます会議のイメージは悪くなる一方だ。

 そこで、このような現状に問題意識を持ち、改善のきっかけとなる方法を紹介するというのが、この本の内容である。効率的・創造的・生産的な会議を目指し、“参加者全員で”意義のある時間をつくり出すためのアイデアが、全章を通して細かく記されている。実践方法や事例は、図や表を多く用いてビジュアル的に紹介されている。
 また、進行役はどの役職の人が務めるべきか、話し合いが活発になるのは何人構成のグループかなど、具体的な方法や数値で最適解を挙げているところも、この本の特徴の一つだ。それにより、会議の準備段階から終了後までのイメージが湧きやすく、次回からでもすぐに取り入れることができる工夫を多く学ぶことができる。

 そしてこの本は、会議という存在を批判するのではなく、“その時間をいかに意味のあるものに変えられるか”という前向きな視点で展開されているところが面白さであると思う。

「せっかく皆が時間を合わせて集まっているのだから、出席してよかったと思え、出会いや学びや発見があり、充実感や満足感を得られる会議にしていきたい」

こうした著者の思いに触れることで、会議というものの本来あるべき姿を捉えることができるだろう。(842字)
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山口祐未さん (8lxjb1mh)2023/1/25 22:32 (No.680715)削除
偏見と差別の追体験、そして学び
河西英通『東北ーつくられた異境』(中公新書.2001)評

「東北」という言葉を聞いて人はどんなイメージを持つだろうか。「田舎」「自然豊か」といった言葉が多く出されるかもしれない。これも私個人の持つイメージである。
この「東北」という枠組みは歴史の中で紆余曲折を辿ってきた。現代の日本では地方ごとの偏見こそ境は無くなってきているものの、日本の中心地から切り離された異境の地として扱われてきた時代は長い。
東北は「どうみられてきたのか」というあまり語られることの無い新鮮な切り口で、膨大な資料をもって解き明かしていく本である。

この本を読んでいくにあたって東北の近世以前の地域的な特色、気候環境と生活形態を軽く予習すると一気に理解が深まっていくと感じた。この本が主に語っている年代は18世紀後期から明治末期までであり、前提としてこの事を頭に入れておくことをおすすめする。

国の行政史料から海外の文献史料、絵図に書かれた「東北人像」まで幅広い資料を網羅し時系列的に東北について語られていく。「未開」「野蛮」といった差別と偏見、政策に対する東北の人々が起こした運動と、戦争や人権運動などの時代の波が突き動かす東北の立場がその文献史料によって解き明かされ、激動の歩みをたどったことが鮮明に伺える。東北の「外」の多様な見方と「内」の自己認識の変動についても注目してみていくと、当時の東北の現状がより想像しやすくなるだろう。
過去の文献史料が多く引用されているが、筆者がその都度分かりやすい解説とこの文章から何が読み取れるかを丁寧に述べているので、普段歴史的な文献に触れない人でも引用文が理解しやすく読みやすいと思われる。

東北の劣ったイメージが多数の視点から語られていく中で、その中に東北という枠組みやレッテルを超えた先に、本質的なその地域の光るものがだんだんと見えてくる。多様な「かかれた東北」を見ていき、そこから見える課題と学びが大きな要点となっている。故に終章の筆者のまとめは必読である。差別と偏見の追体験と学びをこの本で得る事が出来るだろう。(870字)
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関谷佳音さん (8lximuja)2023/1/25 22:13 (No.680690)削除
労働社会を改善していくために ーー明石順平『人間使い捨て国家』(角川新書 2019年)

海外の方から見た日本人の仕事の評価は「真面目」や「勤勉」などの印象であると聞いたことがある。しかしながら、それは裏を返せば、日本人は世界と比べ過度に労働しているということではないだろうか。ブラック企業という言葉が一般的になりつつあるこの時代、私たちが不当に搾取されないためには、どのように生活しどのように社会を動かしていくべきなのか。本著はそれを問う一冊となっている。
本著の著者である明石順平氏はブラック企業問題に専門的に取り組むブラック企業被害対策弁護団に所属している。著者がこの問題に取り組むきっかけとなったことは、著者自身も長時間労働の会社に勤務していた経験があるためである。同僚が長時間労働で潰されていく衝撃に、このままではこの国はもたないと確信したと本著のまえがきにて語られている。
本著においては日本の「低賃金・長時間労働」を可能にしている法律とその運用の仕組みの欠陥にスポットを当てている。また、本著内でよく用いられる「ブラック企業」という言葉があるが、著者はこれを「残業代を払わないで長時間労働をさせる企業」という意味合いで用いている。
本著を読んで私が感じたことは、自分自身が日本の労働の状況についてあまりにも無関心で知らなすぎたということと、本著に出てくるような労働の問題は人ごとではなく自分にも起こりうる可能性があるということである。私は、ブラック企業による過労死やうつ病の事例をニュースなどでよく耳にしていたが、いつも「自分には関係のないことだ、その企業だけの問題だろう」と思っていた。しかしながら、本著を読むと、単に企業だけの問題ではなく日本の法律によって一般の労働者だけでなくコンビニのオーナーや外国人留学生、果ては公務員までが長時間労働を強いられていることがわかった。データをグラフとして具体的に可視化して表記してあるため、まさしく日本が「人間使い捨て国家」であるのだと思い知らされた。しかしながら、この現状を変えようと動いている人の存在についても知ることができた。そして、我々のように社会教育を学び普及していく者にも、労働状況を改善するためにできることがあるのではないかと考えさせられた。私自身も、もうすぐ大学四年生になり就職についても本格的に考える時期に入るということで、今回このような現実について知ることができてよかったと思う。(980字)
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